盾持人の古墳探訪記 丸塚山古墳

盾持人の古墳探訪記 丸塚山古墳

丸塚山古墳(まるづかやまこふん)初訪問

「東国文化副読本」(ダウンロード可能)
中部エリア 51番 丸塚山古墳を訪問しました。初訪問です。

北関東自動車道(E50)
伊勢崎ICより約1.1km 車で約3分。
セブンイレブン伊勢崎豊城町店より約600m
車で約2分、徒歩で約8分。
の所に丸塚山古墳があります。

丸塚山古墳(まるづかやまこふん)

丸塚山古墳(まるづかやまこふん)

形状:帆立貝式古墳
  全長:81m
  後円部径:52m 高さ:8m
  前方部長さ:27m
  葺石・埴輪を備える。
  周囲に馬蹄形の堀が巡る。
埋葬施設:後円部墳頂に組合せ式の石棺3基
    (凝灰岩製2基・緑泥片岩製1基)
築造:5世紀後半
古墳番号:殖蓮村17号古墳
所在地:伊勢崎市三和町2477外

丸塚山古墳 (伊勢崎市リーフレットより)

後円部の墳頂には3基の埋葬施設が造られていました。
残念ながら、後世の開発の影響で造られた当時のままではなく、
石棺内から副葬品も全く出土しませんでした。
各石棺の計測値は表の通りです。
1号と2号石棺は、凝灰岩を組み合わせて構築しています。
棺の底には石の平らな面を上にして敷き詰め、
粘土を貼り仕上げています。
また、1号石棺には蓋石も残存しており、
他の部材と同じく凝灰岩製でした。
一方、3号石棺は他の石棺よりも50cm深く掘り込んで造られていました。
棺を構成する石も伊勢崎市周辺では産出しない緑泥片岩を使用しており、
遠方から石材を運び込んだと考えられます。
後の時代の破壊を受けており、石材の一部が残っているだけでしたが、
石を配置した痕跡から3基の中で最も大きいものと判明しました。
昭和13年に刊行された「上毛古墳綜覧」では、
丸塚山古墳の記述で「緑泥片岩製の長持形石棺アリ」と記述されています。
長持形石棺は お富士山古墳の埋葬施設に採用されています。
この石棺は、「王者の棺」と呼ばれるもので、
当時の中心地であった近畿地方にある
ヤマト王権の大王墓に採用される石棺です。
丸塚山古墳のものは残念ながら、現存しませんが、
お富士山古墳に後続する有力者の墓の可能性は高いと思われます。
〜丸塚山古墳 伊勢崎市リーフレット 2ページ目より引用〜

丸塚山古墳 東側より墳頂へ

墳頂より北側(赤城山側)方面を望む

墳頂より北側方面を写しました。

墳頂より西側方面を望む

墳頂より西側方面を写しました。
遠くに浅間山が見えます。
華蔵寺公園の観覧車も写っています。

墳頂より南側(古墳説明板)方面を望む

墳頂より前方部(南側)方面を写しました。
絶景でした。
ただ、逆に周りから丸見えなので注意。

この古墳の埋葬儀式の時は、
遠くから見えたと思うし、
埋葬関係者は絶景の中で儀式を行なっていたんだろうなぁと古代妄想しました。
夜も火を使った儀式なんかして
綺麗だったのかも知れません。

外周巡り

墳頂に登る前に古墳の墳丘の外周巡りをしました。

草が刈られていて歩きやすかったのですが、
古墳探訪を終えて古墳から戻ると
ひっつきむし(草の種:最終画像参照)が靴やズボンに大量に付いていました。
写真ではわからないかも知れませんが、
丸塚山古墳の墳丘の茶色の部分は、ほぼひっつきむしでした。
ナイロンなどのくっつきづらい素材のものを履いておけばよかった、、、と反省
他の古墳でも今の時期のあるあるなので注意。

丸塚山古墳を後にして、
近くにある一ノ関古墳へ向かいました。

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