盾持人の古墳探訪記 一ノ関古墳

盾持人の古墳探訪記 一ノ関古墳

一ノ関古墳(いちのせきこふん)初訪問

丸塚山古墳から一ノ関古墳へ梯子古墳。

丸塚山古墳から約1.8km 車で約8分。
北関東自動車道(E50)
伊勢崎ICより約900m 車で約2分。
伊勢崎大間々線(県道73号)粕川側の
一ノ関古墳史跡公園に一ノ関古墳があります。

古墳の横の道路(県道73号)は何回も通っているのですが、
一ノ関古墳 初訪問です。

「東国文化副読本」(ダウンロード可能)
中部エリア 53番 一ノ関古墳です。

一ノ関古墳史跡公園 全景

古墳北側に4台分の駐車場があります。
公園ですが公衆トイレは無く、一ノ関古墳のみなので注意。

一ノ関古墳(いちのせきこふん)

一ノ関古墳(いちのせきこふん)は伊勢崎市本関町に所在し、
6世紀後半(約1400年前)に築造された前方後円墳です。
しかし、東(西の間違い?)を流れる粕川によって
前方部は削り取られてしまいました。 
周辺一帯は本関町古墳群を形成し、一ノ関古墳はそのひとつです。

墳丘は上下二段の葺石を持ち、
その下段には幅7mほどの基壇面が広がっています。
墳丘の外側には堀が巡っており、
墳丘を造る際に三段築成を意識していることが想定されます。
古墳の全長は不明ですが、後円部直径は34m 現存する墳頂までの高さ3.5mです。
〜一ノ関古墳 リーフレットより引用〜

埋葬施設

主体部は横穴式石室で、後円部の南側に開口しています。
輝石安山岩を使用し、全長6m、高さは奥壁側で2mです。
遺体を安置する玄室は羨道よりも一段低くなっています。
石室前面には細長い前庭があり、
墓道のような性格を持っていたものと考えられます。
出土遺物は円筒埴輪のほか、朝顔形埴輪、家形埴輪が出土しています。
石室は玄室内から耳環、鉄鏃がわずかに出土しただけでした。
また、前庭付近からは須恵器の高坏や提瓶が出土し、
墓前祭祀が行われていたことがわかりました。
〜一ノ関古墳 リーフレットより引用〜

一ノ関古墳 復元1

一ノ関古墳は、昭和13年に刊行された
「上毛古墳綜覧」に殖蓮村第71号古墳として記載されている前方後円墳です。
昭和43年に伊勢崎市教育委員会によって発掘調査が行われ、
以来石室の一部が露出したまま残されました。
その後、平成10年12月28日に市の指定史跡に指定され、
古墳を公園として活用するため史跡整備に伴う発掘調査が実施されました。
史跡公園整備にともない、
石室は内部に向かって大きくたわみが生じていることから、
一度解体し、欠落した石材を補充しながら発掘調査記録にもとづいて復元しました。
前庭部は築造当時のままの姿とし、
保護のために見学施設を設けています。
〜一ノ関古墳 リーフレットより引用〜

一ノ関古墳 復元2

主体部は横穴式石室で、輝石安山岩という石材を用い、造られています。
大きいもので2tの巨石が使用されています。
石室は旧地表面を若干、掘りくぼめ、
そこに側壁や奥壁の石を一段づつ積んでいきます。
そして三段くらい積んだ後、外側に小石や砂利を詰め
一番外側には石組をおこない側壁などが崩れないように補強していきます。
この工程を繰り返し、
最後に天井石をのせ、石室は完成します。
〜一ノ関古墳 リーフレットより引用〜

外周巡り

一ノ関古墳史跡公園の外周を巡りました。
小さな公園なので2〜3分位で1周出来ます。

墳頂へ

石室入口の西側に墳頂に登る為の石段があったので、石段を使い墳頂へ。

墳頂より南側(石室入口側)方面を写しました。
石室入口部は屋根で保護されています。

後円部墳頂より前方部方面を望む

後円部墳頂より西側(前方部)方面を写しました。

前方部を削った粕川は、拡張?護岸?工事をしていました。

数多くの古墳が消えていく中で、
古墳史跡公園として残してもらえるのは
ありがたい事です。

古墳の造られた年代にもよるのかも知れませんが、
基本的に古墳は川の近くに造られているので、
川に削り取られて消えた古墳もあるんだろうなぁと思いました。

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